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心の充実には



こんにちは!菅原です。

当地は所々うっすら木々が色づき始め、

例年通りなら今月末に初雪を迎えます。

ですが雪は遅延する予感がします。


さて今日は心の充実について

綴ってみたいと思います。

ゲボンの身分で恐縮ですが

自身のことをちゃっかり棚上げして

知りえた知識と感じたことを…

人によっては目を背けたくなる内容かもしれませんが

ご自身を知る切っ掛けにして頂けたら幸いです。


私自身、全てではありませんが、

人と交流すると相手の心の闇や病みに

気づいてしまう生まれもっての性質があります。

小さい頃も人間観察が日常の嫌な子どもでした(笑)


加えて九星気学や易経を学び

自身の感性とは別次元の理屈によって

人の鑑定ができるようになり

更にそれらの融合性を目論んで

大学で基礎心理学や、

臨床心理学を学んだこともありました。

常にステレオ的視点を心がけています。


人間観察は自ずと他山之石で

都度自身を振り返って反省したり、

照らし合わせたりの人生になり

歳を重ねるごとに

人生は死ぬまで学びなのだと

痛感させられています。


そんな人間観察経歴を紐解くと

東京時代は仕事柄

沢山の富裕層との交流がありましたが、

幸せそうな人を殆ど見た事はありません。


言わずもがなで、経済面と心の充実は

全く別次元ということですね。

もしかすると両面を満たすことは

至難の業なのかもしれません。


そこで私の浅知恵で恐縮ですが

両面いずれも充実への阻害要因は

自身で抱える生き辛さ感ではないかと思うのです。

自身の持ち味を活かしきれずに

上手に社会生活を送れない人が結構います。


生きづらさからくる弊害が原因で

心の充実のみならず、自身のポテンシャルをも

シャットアウトしてしまい

それ故に活動のすそ野が拡がらないことも。

だから、自ずと自身に嘘をついて

生きることになってしまいます。


いくつか例を挙げるとすれば

お金に対する囚われ。

頂く事への罪悪感や過度に出費を嫌うなど。

また、私は〇〇だから…や、所詮私なんて…など

活動の場を限定してしまうメンタルブロック。

自己肯定感に直結する話です。


はたまた人との会話の中で

負けじと自己防衛を強く働かせる論破癖。


あとは、やたらと人助けをしたがる…など。


その他様々なクセが社会生活を送る上で

弊害が生じる場合があります。


誰しもトラウマやクセはあるものですが、

人生の中で同じ失敗を繰り返していたり

生きづらさを感じたらスッキリ歩めませんよね。

こうした原因の多くは幼少期にまで遡り

親子関係や家庭環境が原因だと言われています。


ではどうしたら良いのか?ですが、

対処法は他でもないただ一つ、

自身に関心を持ち、トコトン向き合い

記憶を手繰り寄せ幼少期にまで遡り、

自身の不足の原因など探り、それを受け容れ、

またそんな自身に寄り添い続ける必要があります。


ここで多くは語れませんので

『インナーチャイルド 癒し』等の

ワードで検索してみてください。

少しずつでも改善されますが

傾向が強い人ほどこの作業を拒絶します。


自身と向き合う、

とても苦しく面倒なことです。

しかし怠ることは、つまり、

靴紐がほどけているのを知りつつも、

立ち止まって結びなおさずに

笑顔で歩き続けるのと同じこと。

これはポジティブ思考ではなく

究極のネガティブです。

延々と不安やシコリを抱えながら生きること。


そして充実感に欠かせないことではもう一つ。

人間は誰かと深い心の繋がりを感じなければ

充実感は得られません。非常に重要です。


それこそ家族や友達がいるか否かではなく、

かなめは深い心の繋がりなのです。

現代ならネット上の顔も身分も知らずに

毎日交信するネット友!

なんていう場合があるかもしれませんね。


逆にそばにパートナーがいても

心底繋がっていなければ難しいです。

もしも今そうした存在が思い浮かばなければ

意識して生活されてみてはいかがでしょう。


例え経済的自由を達成しようとも

LINE友が何百人いようとも

たった一人とすら心底繋がりがなければ

心が満たされることはありません。


心の充実にはこの二つが欠かせず、

いずれも自身と向き合うこと、

自分自身に抗わないことなのでしょう。


なお、高齢になるほど

深い心の繋がりを求めるのは難しくなり

頑張って元気を装っていても

多くの高齢者は孤独感に苛まれています。

ですから両親が健在なら、

思っているよ、という

繋がりを示す優しさは大切ですね。



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